母との生活。
ボロボロアパートはゴキブリは出るし、隙間風がびゅーびゅー、和式トイレに点火式のお風呂。
父からは毎月5万円が口座に振り込まれていたが、それでも生活費が足りず栄養失調で二人共倒れた事もあった。
でも、今思えばよく毎月かかさず振り込んでくれていたなぁと思うし
そもそもお金を食ではなく、服等にまわしていたから栄養失調になったのでは?とも思うが
それは母が年頃の私の気持ちをくんでやってくれていたことであり、当時の生活費がどのぐらいかかっていたのか今となってはわからないのでなんとも言えないし誰もせめられはしない。
時々母は妹と会ったり、ボロボロアパートに連れてきたりもしたが私は当時かなり妹の事が嫌いで顔も見たくない状態。
両親からの私の対応と妹への対応が全く異なることや、自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こす妹への姉妹としての愛情は全くなかった。
その為バラバラになったときも特に心配はしなかったし、父に「姉妹一緒に暮らしたいだろう」と言われたときも「別にそうは思わない。」とまで言った。
だから、妹が来たときの私の態度はまぁ、ひどかった。妹は母と居たかったのだろうが早く帰ってほしかった。
母との生活は喧嘩も多かったが、苦ではなかった。
やりたいことがあればアルバイトで稼いだお金でどうにかしたし、通学も駅を利用していたがアパートから遠かったためバス通学にしてどうしても頼らなければならないこと以外は母には頼らなかった。
社会人になるころには父とも和解。門限の件ははっきり謝ったわけではないが、父も触れられたくないのか今でも当時の話はしない。
それでも実家に帰るという手段をとれなかったのは、母の存在があったから。
私は社会人になり、妹も進学。
会社にもなれてきたころ
妹が事故にあった。